2010年6月2日水曜日

猫の目で時刻は分からない

子供の頃から猫を飼っていて不思議に思うことに、なぜいつまでも「忍者は猫の目で時刻が分かる」という与太話がなくならないのかというのがある。甲賀流忍術屋敷の公式ホームページなどにあるのはまぁ良いとしても、Wikipediaのネコの項目にも真しやかに記載されているのには脱力する。


当たり前の話だけど、猫の瞳は時刻ではなく明るさに応じて大きさが変わる。雲が出ていれば時刻と明るさの関係は不定になるわけだし、猫がどの方向を向いているか、どこにいるかでも瞳の大きさはかなり変わる。瞳の大きさから時刻が分かるはずがない。雲の量が一定の日に同じ状態の猫を長時間観察したという条件下で、「正午を過ぎた」かどうかがせいぜい分かる程度だろう。


快晴であれば時刻と明るさの関係はある程度一定になるかもしれない。しかし、そもそも太陽が見えているなら太陽の位置を見れば時刻は分かる。影を使っても良い。猫に頼る必要はないのだ。夜間はもっと問題が複雑になる。月齢によって時刻と明るさの関係がまるで変わるからだ。こちらも月齢と月の位置が分かれば時刻は分かるし、そちらの方がよほど確実である。


さらに言えば、猫の瞳は気分次第で結構サイズが変わる。猫の興味を引くものがあれば大きくなるし、獲物に飛びかかる直前には明るさにかかわらず最大になる。病気や怪我で縮瞳・散瞳に支障がある猫もいる。それ以前に猫がいなけりゃ話にもならない。こんなものに頼る忍者がいるわけがない。


もっとも、こんな話が流布していても別に誰が困るわけでもないから、大抵の人は「言わせておけばいい」と黙ってるんだろう。忍者同様に中国人も猫の瞳で時刻が分かるだの、秀吉は朝鮮出兵時に(他の武将のこともあり)時計代わりに猫を連れて行っただのといった話もあるが、いずれも与太話以上のもんではない。

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