2009年12月31日木曜日

sudo suについて

sudoの使い方について、「ちょっと著者のレベルを疑った」という記述を見つけた。当該記事を書いたわけじゃないですが、この書き方を編集部に広めてしまったのは(多分)私なので、レベルを疑われるのは私でしょう。


私が「sudo -i」ではなくて「sudo su -」という方法を紹介していたのは、読者が余計なことを覚えなくて済むと思ったからです。「Ubuntuではsudoを使う」というルールと、「su -」という既存の書式さえ知っていれば、その組み合わせで目的の事柄が達成できるわけですから。それに加えて、記事ではFedoraでの作業方法も併記することが多いので、それとの(記述の)整合性というか類似性を保ちたかったというのもあります。


しかし、冗長なのは確かではありますし、そもそもsuの使い方を知らない読者にとっては上記のメリットも存在しません。また、Fedoraとの件についても自己満足以上のものではないわけですから、今後はご指摘通り、「sudo -i」(もしくは「sudo -s」)に切り替えることにします。こうして再考するきっかけになったので、ご指摘ありがたいです。


この手の話はいろいろあって、ちょっと前は、GNU tarの「z」とか「j」オプションを使うと叱られたりしたもんです(後者は特に)。私は日常良く使うコマンドの便利なオプションは積極的に使っていこうという立場を取っていたので、その意味からもsudoの件は良くなかったですね。

2009年12月27日日曜日

深夜に泡削り


昨晩は友人の新居で鍋をごちそうになりました。ロクにお礼も言わずに帰ってしまいましたが、大変おいしゅうございました。ありがとうございます。新居も綺麗で広くでうらやましいです。高層階で景色も良かったですし(廊下から下を見ると恐怖でめまいがしそうでしたがw)。今度は野外でバーベキューでもしましょう。


帰りには、稲毛の「ラーメン虎ノ穴」を初訪問してラーメン中盛を注文。濃いという評判通りの濃厚さでしたが、脂がしつこくなくてまろやかで、塩味が効きすぎてはいないという、いい意味で予想を裏切る味でこちらも大満足でした。塩分自体はかなり高いのですが、醤油メインなのでそんなに塩辛さを感じません。今回は頼みませんでしたが、もやし盛りとライスが無料で食べられるのも納得です。


そんなこんなで帰宅したのは1:00近くでしたが、寝る前に12月24日に都内に出た際買っていた某製品の泡削り作業を開始。噂通り結構固くて難渋しました。作業自体は簡単なのであせらずに進めるのがコツですね。それよりも自分的に一番難易度が高かったのは、クリップでsalvage配線しながら製品をUSB接続する部分でしたw 天津飯のように腕を増やすか、影分身が欲しいところです。試行錯誤しながら4:00ぐらいには環境がすべて整って就寝しました。

2009年12月23日水曜日

Fedora 10はEOL

2009年12月18日でFedora 10がEOLを迎えた。自宅のファイル・サーバー2台でFedora 10を使っていたため、2台ともFedora 11にアップグレードした。なお、Fedora 10を使っていた理由は、ext4を使う必要があったからだ。アップグレード作業は簡単で、「fedora-release-11-1.noarch.rpm」を導入したあと、依存関係の問題が生じる「httpd-tools」を削除してから「yum update」するだけで終了する。


Upgrading Fedora using yum」にいろいろ書いてあるが、Fedora 10を最新版にしておけば、前述のように大きな問題はない。PAE版のカーネルを導入するぐらいかな。

2009年12月13日日曜日

大原漁港で小物釣り


朝起きたら天気が良かったので、延べ竿1本を持って大原漁港まで釣りに行ってきた。狙いは一応、シーズンになってきたサヨリだったけど、私のポリシーとして撒き餌は使わないことにしているので、まぁ、まず釣れないと予想した。現地に着いてみると、予想外に風が強く、外海は割と荒れ模様だった。夷隅東部漁協の向かい側に腰を据えて釣り始める。餌はサシアミ。


海面を見ると、結構サヨリが回遊しているのが分かる。が、今いち活性が低いのか、撒き餌がないせいか、どうにも釣れない。タナを浅くしても低くしてもだめ。浮きの周りが沸き立つぐらい回遊してきても、ピクリともこない。


こりゃ駄目だと、岸壁の際狙いに切り替えると、木っ端グロ(小さなメジナ)がポツポツかかりはじめた。最初はサヨリ針だったので、笑ってしまうような小さな魚がかかっていたが、針を飲んでしまった奴以外は全部リリースした。途中で大きめの秋田狐に変えたので、上がる魚のサイズは若干大きくなったが、それでも15cmぐらい。1匹ずつだがメイタ(小さなクロダイ、関東ではチンとか言うのかな)と、クジメもかかった。クジメはちょっと大きくて20cmぐらい。


2時間ぐらい釣っていたが、14時ぐらいになって風がいよいよ強くなって、手がかじかんで来たため撤収した。持ち帰った魚は、から揚げにして全部食べた。下処理が面倒臭いけど、仕方ない。腹の内側にある黒い膜を丁寧に落としたおかげか、意外に木っ端グロが香ばしく揚がって美味かった。


これから風呂入って、また仕事をしないと…。今週いっぱいはまだ働かないといけません。

2009年12月12日土曜日

政治がらみのことは書くつもりなかったが

鳩山総理は無軌道なのではない。自由なのだ……心が……


とか笑うしかない、今日このごろです。あ、もちろん、上の台詞は置鮎ボイスで再生してください。


しかしねぇ、悪くなることはあっても良くなることはないと思ってましたが、何というかスカウターが爆発する勢いですよ。どうしようも無いんで仕方なく毎日爆笑していますが(そのぐらい珍発言が出てくる)、本気でやばいです。月並ですが「俺は任期をあと3年以上残している……。 この意味が分かるな?」とか書きたくなります。さすがに来年には総理交代があるとは思いますけど、与党が変わらない限りあんまり意味がない気もします。はぁ……

2009年12月7日月曜日

流星の双子

最低だった精神レベルがかなり復活してきた。そんなわけで、録り溜めていて1話も見ていなかった「DARKER THAN BLACK -流星の双子-」を見たのですが……なんつー萌えアニメだよ、こりゃ。かぶりつきで、一気に9話まで見ちゃいましたよ。6話のラストで蘇芳が電柱に蹴り入れるところでは、黒に殺意が湧いたね!(嫉妬で)


物語本編の方は、ようやく9話あたりまで来て、謎が少しずつ明らかになってきた感じで、前作と同様にスローな展開。今回は1クール放送らしいんで、これから一気に回収するのでしょう。蘇芳については、ミハエルの死体の件が伏線ということで当然クローンとME技術が関係するのでしょうが、それがどう物語につながるのかはこれからの楽しみです。もちろん、黒と銀のことも。

2009年12月6日日曜日

rootfsにBtrfsを使う場合の注意

先日メイン環境をFedora 12に移行させたことは書いたが、その際に発生した問題については書いていなかった。それはFedora 12の標準設定では、HDDを複数使用したBtrfs領域をrootファイル・システムとして利用できないということである。


実は今回は、単にFedora 12に移行するだけではなく、rootファイル・システムをBtrfsに切り替えてみていた。Btrfsはまだ開発中とはいえ、すでにメインライン・カーネルにマージされて8ヵ月が経ちそれなりに安定してきていること、原理的にデータを安全に更新・保持できること、単独でRAID機能を備えることで管理が楽になることなどが理由である。Fedora 12のインストーラは標準ではBtrfsをサポートしないが、「icantbelieveitsnotbtr」という文字列を起動オプションとして渡すことでBtrfsに対応する。


インストーラをBtrfsに対応させておけば、単独のHDD上には問題なくFedora 12をインストールして起動できる。ところが複数のHDDにまたがるBtrfs領域を作成し、そこにFedora 12をインストールするには、ちょっとコツがいる。


まず、初期化作業は、コマンドラインで実施する必要がある。まぁこれは、仮想コンソールを切り替えて、# mkfs.btrfs -m raid1 -d raid1 /dev/sda /dev/sdb といったコマンドを実行するだけで済む(RAID1構成にする場合)。


再度インストーラに戻って作業を続行すれば、インストールを完了できる。しかし、インストールしたFedora 12は起動できない。というのも、複数HDDにまたがるBtrfs領域を利用する際は事前に「btrfsctl -a」を実行しておく必要があるにもかかわらず、Fedora 12の初期化処理ではそれがなされていないからだ。この問題を解消するには、インストールDVDからレスキューモードを起動してrootfsをマウントし、初期化用RAMディスク・イメージを再作成する必要がある。なお、レスキューモード起動時にも「icantbelieveitsnotbtr」を指定しなければならない。


rootfs環境にchroot後、/usr/share/dracut/modules.d/95rootfs-blockディレクトリに移動し、そこにある「install」ファイルの2行めに「inst btrfsctl」を挿入、「mount-root.sh」ファイルの2行めに「/sbin/btrfsctl -a」を挿入する。その後、次のコマンドを実行すれば、複数HDDにまたがったBtrfs領域をrootfsとして利用できる初期化RAMディスク・イメージが生成される。


# yum -y install btrfs-progs
# dracut -f /boot/initramfs-`uname -r`.img `uname -r`

本来はBtrfs専用のdracut設定ファイルを用意する方が望ましいのだろうけど、この方法が一番お手軽だと思う。Btrfsをサポートする以上、btrfsctl -aを実行する仕組みが無い方がおかしいので、いずれはこうした作業は不要になるはずだ。「つなぎ」としての対処ならこんな程度で充分だろう。


(2009/12/06追記)btrfsctl -aの前に「/sbin/modprobe btrfs」しておいた方がいいようだ。無くても起動はするが、一度マウントに失敗する(マウントを試みた際にbtrfsドライバが読み込まれるので、リトライ時にはうまくいく)。「mount-rootfs.sh」にはこの行も記述しておいた方がいい。

2009年12月5日土曜日

audacious-2.1は日本語タグ表示に問題

Fedora 12が採用するaudaciousはバージョン2.1系のものだ。このバージョンのaudaciousには、日本語のID3タグをうまく表示できない問題がある。他のバージョンならば「自動キャラクタエンコーディング検出」を「日本語」にしておけば、シフトJISのタグも内部的にUTF-8に変換して表示してくれるのだが、この変換部分に問題があるようで「不正なUTF-8」などと言われて文字列が「????」になる。


幸い、バージョン2.2系ではこの問題が解消していて、ソースからビルドしたものを使えば日本語を表示できる。なお、プラグインのビルド時には「--enable-chardet」指定が必要だ。ただし、バージョン2.2系ではプラグインの形式が変更になっていて、その変更に追随できていないプラグインが削除されている。この影響で「tta」や「ape」は聴けなくなる。あちらを立てればこちらが立たず…という感じですな。私自身は、mp3とflacがメインなので影響は少ないですが。


(2009/12/17追記) ttaやapeが聴けないと書いたのは間違いでした。「ffaudio」というffmpegを利用するプラグインを使えば、ffmpegが対応するフォーマットは再生できます。ただしcueシートとの組み合わせはうまく行きませんでした。apeは再生位置がズレる問題があり、ttaは指定位置からの再生がまったくできない感じです。

2009年12月4日金曜日

Chromium OSを試してみた


Chromium OSをソースからビルドして試してみた。公式Wikiの書き方からみるとFedoraでもビルドできるように書いてあるが、実際にはいろいろソフトが不足していて簡単ではない。debootstrapを追加して、repreproをビルドするとある程度作業は進むが、なんだかんだで問題が発生してうまく行かない。諦めて仮想マシン上にUbuntu 9.10環境を作って作業した。そっちでは拍子抜けするぐらい簡単。だけどこういう無意味なディストリ依存ってのは、どうもなぁ。


ビルドしたChromium OSは、起動と終了が速いのが印象に残った。感覚的には一瞬で起動/終了する。だけど、ほかには特に何も感じなかった。むしろ、不自由さでイライラしたぐらい。まぁ、普通のOSと比べるのが間違ってるんだろうし、商売やってる人には別の見方があるんだろうけど。Ctrl+Alt+Tで端末エミュレータが起動するのはいいんだが、これにも一々隠すなよとイライラ。


あとビルドしたのはtar玉で配布されている「0.4.22.8」だけど、なんかやたら固まってた。VirtualBoxで動かしたからなのか分かんないけど。


2009年12月3日木曜日

祝!みつどもえアニメ化

イカ娘とどっちが先か…なんて友人と話題にしていましたが、みつどもえが先でしたね! みっちゃんの腹が勝ったということでしょう!(違う)


設定画に「ななめ後ろからの呆れ顔」が無いですが、これこそが同作の魅力だと思うので、ぜひやってください。また、ドタバタしているようで意外と「静」の笑いが多い作品なんで、アニメ的にどう料理するのかも楽しみです。声優さんも未発表のようですが、こっちも楽しみ。

Fedora 12はja_JP.eucJP不可?

メインの作業マシンのOSをFedora 10からFedora 12に入れ替えた。インストール後,いつものようにロケールをja_JP.eucJPに変更したのだが、変更するとGNOMEのセッションがこけて、パネルやメニュー、デスクトップがまったく表示されない。ふとしたタイミングで起動することはあったが、起動しないケースの方が多い。例によってPython関連でエラーが起きている様子。うーむ、困った。


デスクトップ環境を変えるとか、ウインドウ・マネージャのみの構成にするとかすれば、当然まだ行けるのだろうが、日本語EUCで頑張るのもこの辺が潮時かもしれない。EUCにこだわっていたのは、UTF-8環境だと、Emacsを「emacs -nw」で使った際に記号の一部の文字幅が誤って表示されるからだ。gnome-terminal側の問題らしいのだが、文章を書く際に大変困るので、なかなか切り替えられなかったのだ。


しかし最近は、日本語EUC環境だと起動しない管理ツールとかもあって、いろいろ面倒になってきていたのは確か。問題が起きるたびに個別にLANG指定したり、Pythonの設定を変えたりして対処してきたが、GNOMEすら起動しなくなったとあれば、いちいち対処するのも億劫だ。そんなわけで、convmvで既存ファイルのコードを一気に変換して、UTF-8環境に移行した。

2009年12月2日水曜日

編集部を離れてライターに戻ります

11月後半は仕事で死んでおりました…というかパンクしてしまいまして、請け負った特集記事が大変残念な内容になってしまいました。9月ぐらいからアップアップしていたのですが、それがいよいよ限界を迎えた感じです。年末進行が始まっている上に他の理由でも大変な編集部に多大なご迷惑をおかけしてしまいました。


原因は…というと充電不足(というか過労)です。目の前の仕事をこなすのに一杯いっぱいで、息抜きとか、興味あるネタを追っかけるとかの時間が全然取れませんでした。自転車にも全然乗れずに体力が大幅に低下したことも一因でしょう。調べてみますと、2009年6月号から8号続けて毎月20ページ以上自分で書いていました(計172ページ、平均21.5ページ)。これは自分的にはかなりのオーバーペースです。1、2号なら問題ないんですが、休みなくずっとだと滅茶苦茶キツいです。


これ以上続けてまた迷惑をかけるわけにもいかないですし、何よりも充電期間がほしいということもあって、編集部から外してもらいました。まだ連載が残っていますし、完全休業というわけにはいきません(次号も11ページぐらいは書かないといけません)が、何とか死なずに年を越せそうです。来年になるとお金の心配も出てくるでしょうけど、まずは命あってこそです。


しかし雑誌編集ってのは本当に戦場ですね。いわゆる「ムショぼけ」に近い自分には時間の流れが急に速くなったように感じられたほどです。この半年、自分が何をしたかあんまり記憶がありません。4月以前のことは結構鮮明に覚えているんですけどね。


ちょっと不本意な形になってしまいましたが、この8ヵ月間、お世話になりました。今後もライターとして関わらせていただきますが、よろしくお願いします。